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昭和の記憶展2008年07月23日 21時58分33秒

 昭和の記憶展について編集長敬白に書かれておりました。3丁目の夕日の世界と重なってしまいますが、かって中央線、沿線住民として日々の工事を見守って来た者として興味を持って読みました。当時はD51なんて そこら中にいましたから、幼なじみの旧友と またかなんてよく言っていましたが、隔世の感がありますね。
 高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻と同じ形の跨線橋がありました。高円寺の西側の踏切は一応板が敷いてありましたが、電車が通る度にかなり沈み込んでいました。南側は直ぐに改札へ出られるタイプで線路沿いの東側の広場では街頭テレビや時たま テキヤさんが人を集めていました。今頃の時期には駅構内や出入口には打ち水が必ずしてありました。
 冷房なんて最初はデパートも大きな氷柱が飾ってありました。そのうちデパートに入り、映画館や純喫茶、バー、飲食街にも順次普及していきましたが、それまでは氷屋さんがリヤカーで生氷を運んできて大きなノコギリでシャカシャカして配っていました。子供は傍らでかけらを貰って喜んでいました。首に布を巻き付けた喘息持ちの犬のいた北口角の本屋さんは木のリンゴ箱の上に本を並べて売っていました。
 駅北はずれのコンクリの高い塀で囲まれた気象部跡では、爆撃された建物や瓦礫もそのままで、探検よろしく遊んでいました。当時小倉アイスなんて有名でしたが今でもあるのでしょうか。
全てが昭和の記憶ですね。

御坊臨港鉄道2008年07月29日 00時48分23秒

編集長敬白に紀州鉄道の事が出ていますが、懐かしいですね。
何年か前に訪問した時も余命を心配した状況でしたが、健在とは 嬉しい限りです。
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